第1章
白碁石編

奇跡のハマグリ碁石 ~日向産ハマグリ碁石~

(1)お倉ヶ浜が産んだ、類まれなハマグリ

日向産ハマグリ碁石は、宮崎県の北部に位置する太平洋に面した日向(ひゅうが)市お倉ヶ浜(おくらがはま)で採取された「ハマグリ貝」から作られた白碁石です。お倉ヶ浜は南北に約4キロメートル延びる砂浜で、日本国内でも唯一この場所にだけ「奇跡のハマグリ」が生息していました。日向産のハマグリは日本全国に生息する「汀線(ちょうせん)ハマグリ」と呼ばれる種のハマグリですが、その他のハマグリと圧倒的に違うのはその貝殻の「大きさ」と「厚さ」、「白さ」、そして「硬さ」にあります。通常のハマグリ貝の直径は5~9㎝くらいですが、碁石の原料となる日向産のハマグリ貝は直径10cm~15㎝程の大きさです。貝殻を人の口に例えると唇にあたる貝殻の端の部分に特にふっくらと厚みのある箇所がありそこから1粒だけ白碁石の原料が採れます。この厚みも他の地域のハマグリにはない特徴です。日向特産のハマグリ貝には別名があり、通称「スワブテ貝」とも呼ばれます。宮崎・鹿児島のある地域では唇のことを方言で「スバ」といい、スバが「ブトイ(太い)」ということで「スワブテ」貝と呼ばれるようになったと言われています。色についても、一般的なハマグリ貝は茶色や薄紫色ですが、日向産のハマグリはその多くが「白色」であり白碁石の原料に適した高い品質の貝殻です。また、年間を通してお倉ヶ浜の強い波にさらされる環境下で育った日向産のハマグリは自身を守るために進化の過程において貝殻をより硬く分厚く硬くし進化したと考えられ、日向産のハマグリでつくられた碁石はまさに「奇跡のハマグリ碁石」なのです。

(2)ハマグリ碁石の産地から、碁石製造への歩み

日向産のハマグリ貝は1800年代後半に富山県の薬売りの行商人によって大阪の碁石製造業者に伝えられ、白碁石の原料として見出されました。当時のお倉ヶ浜には大きくて白いハマグリ貝が浜一面に打ち上げられており、大阪から来た使者は日々小躍りしながら貝拾いをしては大阪へハマグリ貝を送っていたといわれています。それまで三重県桑名市のハマグリ貝を使用していた碁石業者も次第に日向産のハマグリ貝を碁石原料として多く使用するようになってきました。
Seikichi Harada 「日向のハマグリは我が郷里・日向市で碁石に仕上げたい」

大阪の使者のもと日向市で貝拾いを手伝い、その後大阪の碁石製造所に勤めていた原田清吉(はらだせいきち)氏は、1907年に故郷・日向市で碁石製造を始めました。その後数十年にわたり、ハマグリ碁石製造は日向市を代表する産業として大きく発展することとなりました。1917年(大正6年)には黒木碁石店の創業者・黒木宗次郎(くろきそうじろう)が、碁石製造を開始しました。

日向産のハマグリ碁石は、白碁石の原料を貝棒という手作りの道具に装着して、砥石の溝に摺るように押し当てながら碁石の曲面を成形する最終仕上げで製作されます。1組約180粒の白碁石を一粒一粒、職人の目と手で厚みを確認しながらじっくりと時間をかけて仕上げていきます。職人の技術と手間暇を惜しまない製法で作られるからこそ、日向特産ハマグリ碁石に特別な価値が生まれるのです。

(3)奇跡の碁石は、幻の碁石に

日向産のハマグリ貝は14~15年かけて育ち寿命を全うし、数百年・数千年と、お倉ヶ浜の砂の中で風化せずに半化石の状態で堆積したものです。1800年代後半から1970年代にかけて採取されたハマグリ貝の量に関する記録は残っていませんが、数千年の歴史の中で相当量のハマグリ貝の資源が砂の下に眠っていたのは間違いありません。原田氏が日向市で碁石製造をはじめて以来、日向市には10社以上の碁石製造所が誕生しましたが、各社とも浜辺に打ちあがった貝殻や砂浜を堀るなどして貝殻を採取し続けたことで、日向産のハマグリ貝の原料は1970年代にはほぼ枯渇してしまいました。

「同じものが作られることはもう二度と無い」

日向産ハマグリ貝が採れなくなり50年経った現在では、日向産ハマグリ貝から作られた奇跡の碁石は「幻の碁石」と呼ばれるようになったのです。
第2章 白碁石編
シン・ハマグリ碁石 ~メキシコ産ハマグリ碁石~
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